LIMBO/INSIDE

Playdeadの2作品がセールでお安くお求め頂けるようだったので遊んでみた。はっきりいってただの雰囲気ゲームである、考察好きな人間でもなければ特におすすめはできない。

LIMBOは不良漫画に出てきそうな髪形をしている主人公のアクションが遅くテンポが悪い、はっきりいってイライラするものがある。謎解きは簡単で、アクション性も高くない。多くのゲームに影響を与えたと思われるが、そこまでよい作品ではないと思う。

INSIDEはどことなくAnother Worldを思い出す。LIMBOをあらゆる点で改善した良作だとは思う。キャラクターはそれなりのスピードで動き、かなり気色悪い雰囲気も嫌いではない。後半一部の爽快さも悪くない。しかし、ストーリーの意味の分からなさではLIMBOの比ではない、もっとも語られない以上、そこにあるのは推測でしかないのでわかろうがわかるまいが、大きな差はないと思うが、ゲームが終わったことすらわからないのはいかがなものか。隠し要素を回収することで別エンディングがみられるようだが、大した差はないように思える。シンプルなのは好きだが、投げ出されるのは嫌いである。そういうのが好きな人がいるのは知っているが、私の好みではない。

パズルとアクションが融合したゲームをしたいならPortalをやればよい。この2作品はビジュアルや雰囲気は優れているが、どことなくゲームとして中途半端だと思う。

ゼルダの伝説 Breath of the wild

PVでクソゲーを嗅ぎ分けることはできる。しかし、10年に一度の名作となるとどうだろう。今作の3rdPVで絶頂を迎えたゲーマーは数知れないであろう。Nintendo Switchを買う気になったのも、そのPVが原因である。発売まで毎日飽きずに再生し、期待がこの上なく高まった状態で、メタスコア98点と言われ、期待は限界を迎え、もはや何を持ってこられても楽しめないのではないかと心配するほどであった。

 しかし、杞憂であった。確かに欠点は挙げられる。最先端グラフィックとは言い難い粗さはある、ミニチャレンジに全く魅力がない、そして何よりもこのゲームには終わりがある。しかし、些細な問題は個人の取るに足らない意見と無視できるほど、洗練されている。

多少粗いグラフィックとはいえ、これほどまでに印象的なものを他に見たことがない。Crysisが出た当時は驚いた、今作と同時に出たHorizonも素晴らしい。確かにいつの時代もよいグラフィックのゲームはあるが、すぐに廃れる。あれこれ凝った作品は多いが結局のところ、大して印象に残るものではないのだ。この作品の映像は驚異的に洗練されている、ゲームグラフィックの進化方向として全くもって適切ではないか。

グラフィックに限らず、すべての要素が洗練されている。公務員のようなコスト意識で開発されただけのことはある、あれこれ考えてみたが細部をみてどうだと言うのが馬鹿らしくなってくる、洗練されているの一言ですべてが片付く。では、全体としてどうか。これがわからない、なぜわからないのか足りない頭を必死に絞ってみたら至って簡単である。これはゲームジャンルの枠を逸脱している、ゼルダとしかいいようがないほどにゼルダなのだ。

ババ抜きと神経衰弱をカードの質で語るような間抜けは存在しないだろうし、それらは好きか嫌いかでしか語りようがないだろう。それと同じようにこの作品もまた好きか嫌いかでしか語りようがないのではなかろうか。ゼルダとして完成しているかと言われれば全くもってその通りである、当然のことだが100%ゼルダの伝説だ。なんだかすごいゼルダが出たとしか言いようがない。つまるところゲーマーなら本作をプレイするしかないだろうし、それ以上でもそれ以下でもない。全くもってとんでもない作品である。

Super Mario Odyssey

"GOTY"

いつも通りなメインストーリーを終えた、やりこみ要素をクリアするならプレイ時間は3倍以上に膨れ上がると思われる。正直言って興奮しながら書いてるので、やりこんでからまた書き直そうと思う。

正直に認めると最初のPVを見た時点では、アニメ色の強いマリオの挙動が気色悪く思われ、大丈夫だろうかと悩んだ。しかし、慣れたのか2ndPV以降はただひたすら楽しみであった。

いつも通りなマリオであるが、それ故にか、それ以上にか傑作である。2Dマリオは3で完成したといえるが、それ以降のマリオが面白くないかといえば嘘で、驚異的に品質を維持している。では3Dマリオは64で完成したのかといわれると、ひょっとするとそうかもしれないが、64マリオという王の座を奪える作品だとも思う。ゼルダが新天地を見出そうとしたのに対し、この作品は集大成といえる、それは演出からも明確である。

最近の任天堂の開発方針だとは思うが、ゼルダ同様小さな遊びの連続である。新能力キャプチャーのお陰で多様性があり、それでいて品質も高い、キャプチャーしてもカービーではなくマリオなのである。これこそが任天堂の見出した”マリオらしさ”なのかもしれない。これは驚異的なことでなかろうか、そもそもひげ面のおっさんが飛び跳ねてるだけなのに面白い時点で驚異的なのに、それを何度も再現しているのである。ふと思い出したのはMomodoraである。テンポよく全編通して楽しめる。あれは極めてコンパクトなゲームだからこそ非常に良いセンスを全編に行きわたらせることに成功したのかもしれないが、このような大作であってそれを成立させたのは他に例を見ない。ゼルダの精神病じみた丁寧さとはまた別のものである。

開発者の愛を強く感じる作品だが、集大成といいつつもやりたい放題と感じる要素もあり、ゼルダ同様、マリオも新しく解釈しなおそうと明示されていると思う。これは過去の偉業を引き継ぐ新たな金字塔であり、未来への道標でもある。今年度、あるいは今後数年間でもっとも楽しいゲームだと確信を持って、誰にでも勧めることができる。

They Bleed Pixels

難易度でゲームを選ぶ人向けの作品

戦闘にはコンボシステムがあり、敵に応じて攻略が変わるが、戦闘自体の難易度は基本的に低い。非常にいやらしい敵配置に苦しめられる、プラットフォーマーリョナゲーもとい死にゲーと認識している。

序盤はそこそこ高難易度のアクションゲームとして楽しく進めるが、後半は絶望の連続である。もっとも、あまりゲームが上手とは言えない私でもとりあえずクリアできたのだから、忍耐力があればなんとかなる難易度だと思う。

本作の特徴は、謎の浮遊物を回収するか、敵を撃破することで得られるポイントが溜まると、セーブポイントが設置できるようになることだろう。詰み防止のためか、難易度のためか、障害物や敵の近くでは設置できないので、セーブポイントは限定されている。なら、最初からセーブポイントをおいておけばいいのではないかと思われるかもしれないが、同じところで何度も死んでると、(プレイ毎のコンボの変化かもしれないが)敵を撃破した際の回収できるポイント量に変動があり、こまめにセーブポイントを更新できたりする。これのおかげで何度も助けられた。結構面白い機能の仕方をしていると思う。

ストーリーはあってないようなものである。このゲームの本質は攻略法をみつけるまでひたすら繰り返し、そしてそれが成功するまでまた繰り返すことにある、つまり死にゲーである。主人公の悲鳴はBGMとなり、死体の山を積み重ね、最後に目覚めるのはこの世の真理か、あるいは猟奇趣味か。万人にお勧めできる作品ではない、正直言ってもう二度と手を付けないだろうと思う、ほとんど理不尽ともいえる難易度のゲームをクリアすることが好みの方は是非どうぞ。

Fallout4

時代の寵児ともいわれるBethesdaの送るポストアポカリプスRPGシリーズ最新作、圧倒的物量と苛立つバグの連続、何もかも中途半端な本作を体感しよう。

私は残念ながらFalloutファンとは言えない、シリーズは3とNVしかやったことがないし、これぞFalloutという観念を持っているわけでもない。DLCも買っていないので、純粋に1個の期待作品としてプレイを始めた。

最近FPSを出すことの増えたBethesdaらしく、戦闘面では大幅な進化を遂げている。従来作品の酷い戦闘からようやく解放されるのかとほっとする。ストーリーもパワーアーマーまでイカした演出が続き、これはなかなかと思ったものの、そこがピークである。

武器の改造だの、町の開拓だの様々な要素があるが、特別やりたいとも思わなかったし、やる必要がなかったので、このゲームのシステムは全く把握していないと思う。しかし、私はRPGをやるつもりで手を付けたのだ、特に望んでもいないシステムを新しく覚えようと思えるほ余力があるわけでもないので仕方あるまい。

ではRPGとしてどうなのかといわれると、大きな問題がある。メインクエストに関わる団体の主義主張、そして行動がどうにもチープな気がしないこともないが、そんなの些細なことで、問題はRP部分がローカライズと会話の選択肢で台無しになっていることである。会話の内容が全く頭に入ってこないのは、時に理解が困難な文章のみならず、短縮された単調な会話の選択肢から、斜めの方向に話が展開していくことも原因だろう。全く乗り気にならないのに選択肢を与えられてもうんざりする。”アメリカ語”で遊べば印象が変わるのかもしれないが、この情報過多なゲームをいちいち翻訳して遊ぶほどの体力はない。

そうして、寄り道する気力も失われるのである、残された魅力の大半も失われる。戦闘もFPSとしてみると完成してるとは言い難い。凄まじい物量を準備しただけで、それ以上の何物でもない作品である。BethesdaゲームはMODを導入してやっと遊べるとの意見もあるだろうが、結局それの意味するところはゲームとして全く完成していないということではないだろうか。

マリオカート8デラックス

中段の足の引っ張り合いで一位を独走させろ!

WiiUを持っている人間などいるはずもないので実質新作である。64以来一度も手にしたことのないマリオカートに期待したのは、ノスタルジックな感情で、友情を崩壊させる苛烈な争いを提供することであった。ところがどっこい、このゲームは走者のレベルが拮抗しないと全く争いにならないのだ。結果として、各々勝手に完走し気まずい空気を提供するだけである。レースゲームとしては正しいと思われるかもしれないが、真剣なレースがやりたいならAssetto Corsaでもいじっていればいい。そもそもデスレースに出場できそうな車両で運転技術を競うのはいかがなものか。

もちろん、サイコロを転がすだけじゃ楽しくない。私のような猿でも思いつくようなことは、任天堂の賢い製作陣営なら数世紀前から検討していることだろう。世に氾濫しているマリオカートシリーズである、差別化を図るために苦心しているのかもしれない、あるいは作るのに飽きたのかもしれないが、プレイヤーのレベルに関わらずある程度拮抗できるようなバランスにしてもらいたかった。せめて中段以下で足を引っ張りあうのはどうにかならなかったのか。

64のステージは収録されているが特別ノスタルジックな気分にもならない、記憶の美化と比べても、あまりにも映像が綺麗になりすぎているのだ。非常に綺麗な画面だが欠点もある。コースが非常にみずらい、頻繁にプレイするわけでもないので鳥頭の私は毎回苦しむ。

文句ばかり書いたが、Nintendoのゲームは特別な存在でなければならないという思い込みがあるためであろう。私の頭やセンスが時代に置いて行かれただけかもしれない。手を出すに十分な魅力を兼ね備えたゲームだと思う。下手なゲームを遊ぶぐらいなら、これをやったほうがいいと素直に進められる。

Nintendo Switchを予約した

NX発表と言われてもそこまで関心が湧かなかったが、なんの気無しにPVを見たのを覚えている。Skyrimは既にやり飽きていたのに、持ち運びできるというのに妙に興奮した。Skyrimをやり始めた頃に、ネット接続か何かでタブレットでも動かせんものかと思案していたような気がする。今その記憶を掘り返し、10年振り近いゲーム機購入に一人納得している。

とはいえ、変な話だが、そこまで興味のあるゲーム機と言えないのである。販売が予定されているタイトルはゼルダ以外興味がない。そして、外でゲームするのは気恥ずかしいので、このギミックが役に立つのはテレビを置いてない我が愛すべき自室への籠城を深化させることのみであろう。

これは一体どの層に向けたゲーム機なのだろうか。仮に外でやるにせよ、”もしもしゲー”にライト層は流れるだろうし、それなりにコアでも私のようにシャイな層は家でProコントローラを脂まみれにしながら尻を温めることを好むであろう。ゲーム機から手の離せない重度のゲーム中毒者にしかウケないと思うのだが…

 

話は変わるがゼルダの新作は大いに期待している。PVを見て、攻撃ヒット時のエフェクトが煩わしいなど幾つか思うところはある。しかし、何よりも重要なのはこれがオープンワールドという、うんちであることだ。

慣れから広い世界への感動は失われ、大抵の場合移動が面倒になり、ファストトラベルを多用し、結局のところ歩く範囲は限られる。真に機械じみた人間でもなければ最後は苦行である。TESシリーズ、Witcher3、好きなタイトルではあるが、スムーズなプレイ動画を見る方が楽しいのじゃないかと常々思う。

あんまり語るとゲームとは何かという問題に首をつっこむことになる、意見様々で面倒なので避けるが、何が言いたいのか薄々とわかってもらえるのではないかと、ハイコンテクストな文化に過度な期待、依存しつつ、New Super Hook Girl UC早くしろとだけ主張しておく。

任天堂が流行りに乗っただけなら非常にがっかりするが、会社の哲学を思うにそうはならないと、僕はやってくれると信じている。なんたって「オープンエア」とよく分からない言葉を標榜しているのだから…